おとうさん、行ってらっしゃい

一日に父が亡くなった。
食が細りだいぶ衰えていたが、医者にかかっているわけでもなく寝込んでいるわけでもなく、前日までいっしょにごはんを食べ、紅白歌合戦を見、おやすみを言ったのに。
父の妹たち(わたしのおばたち)を呼び出し、隣りの島の医者に来てもらい、葬儀屋に連絡し、お寺に来てもらって枕経をあげてもらい、葬儀屋に遺体を移した。
葬儀内容を打ち合わせて、三日に通夜、四日に葬儀と決定。父が生前に言っていた通り、ちんまりと近親者のみで執り行う。私は喪主を務めることになった。夜まで線香をあげつつ父に付き添ったが、死んだことが信じられず今に動き出すんじゃないかという気がして仕方がない。帰宅して早々に就寝。疲れた。悲しくて眠れないかと思ったが疲れて寝た。まだ一日、四日までもつんかなと思った。
二日。起きて早々に葬儀屋に移動。湯灌の儀式と納棺。映画「おくりびと」を思い出す。この日も夜は帰宅。
三日。起きて早々に葬儀屋に移動。18時から通夜。大泣きした後、振る舞いでビールをいただき、少し緊張が緩んだのか、この三日あまり食べられずにいた分まで食べまくった。この日は葬儀屋の宿泊室に泊まった。3時に目が覚めた時、同じく目を覚ましていた妻に進められ、葬儀屋が用意してくれていた便箋に父への手紙を書く。この三日間子どものころのこととかいろんなことを思い出していた。いざ手紙を書くとなっても、感謝の言葉しか出て来ない。おとうさん、ありがとう。
四日。10時から葬儀(大泣き)。11時出棺。11時半火葬(大泣き)。13時骨上げ。もう涙は出ない。悲しみが消えたわけではもちろんないけど、けじめがついた感じ。葬式っていうのは残った人のために必要なもんなんだなあとしみじみ思った。葬儀屋に戻って会食。骨壷・遺影・位牌を持ち帰りお寺さんにお経をあげてもらい、お葬式は全て終了。
五日。市役所や社会保険事務所に行き、手続き。父の消えた年金記録が出て来たりして、時間がかかった。
六日。初七日を済ませ、わたしたちは広島に戻った。広島に戻ってしまえば、わたしにはまた元の生活が待っているけど、今日から母はひとり。何かにつけ父の不在を感じて悲しんだり泣いたり眠れない夜を過ごしたりするんだろう。でも一日は一日ずつしか進まないし少しずつ慣れて来るのを待つしかない。わたしもなるべく機会を見つけて帰ろうと思う。
辛い数日間だったけど、順序として父が亡くなったのは正しく、その点ではよかった。あとはわたしが無事に母を見送ればいい。でもそれは30年くらい先でいい。
そして親戚たちとこんなにいっしょに過ごしたことはなく、改めて頼もしいものだと思った。地元を離れ大阪の大学に通い、東京で仕事をするようになって、もう縁も切れたような気になっていたところがあったし、それでいいと思っていたけど、わたしの誤りだった。父や母と持ちつ持たれつで助け合っていること、わたしも子どものころかわいがってもらったことを忘れてはいけない。
しかし、疲れた。ちょっとゆっくりのんびりしたい。